脳が疲れる…

昨日まで、すっきりしてたけど、今日は久しぶりに眼睛疲労と頭が重たい。体調は70%くらいか。やっぱり100%回復は、無理なのかなぁ。でもレーシック後を0%と

すると日常生活ができるので全然ましです。これから生きていくコツは完全回復を望まない事かも。

レーシック難民卒業か?

久しぶりの更新です。時々眼睛疲労はありますが、レーシック前とくらべると95%の回復です。ばりばり働いてます。ジプレキサとプリズム眼鏡がよかったのか…。僕の経過は、

 

2年前の7月 品川近視クリニックにてレーシック。

レーシック前は-6D。レーシック後プラス0.75の遠視

眼の奥が掴まれるような激痛と眼睛疲労。多少のハログレア有り。

同年10月同じく品川で遠視矯正。+1落とす再手術。

結果-1の近視。ハログレアなくなる。視界は視力0.5ながらクリア。

激しいドライアイと眼表面の激痛と眼睛疲労で約1年半寝たきり

今年一月くらいにサンピロ点眼液にて一時的に回復。

3月に眼鏡屋さんで検眼してもらったところ多少の眼位以上発覚(遠視矯正前は眼科にての簡易検査では異常なし。)

プリズム眼鏡を作るが視力1.5にあわせたため回復せず。

諦めてたところネットで別の眼鏡屋さんをみつけ、遠方視力0・8にあわせた、遠方用プリズム眼ガネと近見用(プリズム入り老眼鏡)を制作。(7月初旬ころ)。

同時にジプレキサを飲み始める。そして回復。

今は、調子の悪い時、ときどきジプレキサを飲んでます。1週間に1回くらいです。

ここ2ヶ月間は時々脳が疲れたり眼睛疲労がありますが、ほぼ健常者と同じように過ごしています。脳が適応してきたのか。この先どうなるかわかりませんが、前向きに生きたいとおもいます。苦しんでる時はなんども自殺を考えました。品川だけは許せない。

そして苦しんでる時に励ましてくれた難民仲間にお礼もうしあげます。仲間がいなかったら確実に死んでいたと思う。そして仲間の一日でも早い回復を祈ります。

 

眼鏡難民。

レーシック難民になると眼鏡難民もなります。合う眼鏡に会うために何本もつくります。眼鏡屋さんによって処方の仕方も変わります。僕も2年で10本くらいつくりました。最近、青山にあるドイツマイスター眼鏡院にて手元用と遠方用の眼鏡をつくりました。ドイツ式検眼にて眼位異常が見つかりプリズム入りです。1ヶ月がたちましたがようやく眼の痛みがとれてきました。それと最近ジプレキサものみ始めたのもよかった感じです。しばらく、調子がわるくてブログの更新もできなかったのですが、この状態が続けばなと期待してます。

 

品川近視クリニックとは?

おくばせながら明けましておめでとうございます。また目の痛みが出てきて更新する気がありませんでした。内はすでに父が亡くなっており、また母が心労が重なり動けなくなり。生きて行くためには働かざるを得ず、眼痛にたえながらなんとか働いています。品川近視クリニックを選んだのは、知人からの紹介です。もちろん成功者からの。最近社会復帰してレーシックの危険性を訴えているのですが、品川でレーシックをした人の多い事。近視戻りや最初見えすぎて辛かった人もいましたが、我々レーシック難民ほど重症者は、とりあえず、いませんでした。オフ会や定例会では品川の被害者が圧倒的に多いけど。正直こんな後遺症を抱えてしまって悔しいです。45万も払って。再手術しても治りません。成功した人はよいけど。失敗したら、様子を見ましょう、ドライアイですね。とか。遠視はとれてますとか。ムコスタもサンピロも出してくれない。調節機能がくるっているのに検査の機械もない。診察は、毎回医師がかわってまるで人ごとです。恐らく失敗者なんか多少いてもいいやと言う経営方針なんだろうな。障害をおっていきていかなけらばならなくなったので、せめて、一矢報いたい。そして新たな被害者を出さないためにも、僕が経験した地獄を世間に伝えていきたい。もう一度日本人がすばらしいと思えるためにも。そして神仏を信じられるようになりたい。これももう一度。しかし、医療のくせして健康な人を地獄に落とすなんて。しかも何人も。品川に勤めている人は、本当に人間なのか・信じられない。

後遺症と生きる。

レーシックの後遺症は様々です。例えば僕の場合は、眼精疲労と目の痛みです。軽減方法もジブレキサが効いたり、サンピロが効いたり。また効かなかったり。見え方がおかしい人もいるし。でも、訴訟も含めて生き抜かなけらばならない。自分自身のために。後遺症抱えての仕事はしんどいです。

やっぱり目が痛い。

こんにちは、つよぽんです。仕事復帰できてますが、時折目が痛みます。特に目が疲れた夕方くらいから痛くなります。集中力そがれます。まあ以前の痛みに比べればぜんぜんましですが。明るく楽しく生きたい。ただそれだけなのですが。でも。もう後遺症に負けない、痛くても仕事をする、飲みにも行く。レーシック被害者のみなさん一緒に生き抜きましょう。笑顔が戻る日を信じて。僕はレーシック難民の明るい未来をしんじます。そして自分自身も明るく楽しく生きれるよう頑張ります。自分できりひかねば。

レーシック後遺症と欝。

僕は約1年半眼の痛みで寝たきりでした。それとともに欝にもなりました。働けず家族にも迷惑をかけ。毎日、治る事のない眼の痛みで希望を持てず。精神薬も飲みました。人間は希望がないと生きていけないことを痛感しました。引きこもりの生活。地獄です。自殺も何回も考えました。家は自営なのですが、父は亡くなっており、会社の業績はめちゃくちゃになりました。住んでいたマンションも売りました。お金の心配、治らない目の痛み絶望でした。今は、前向きです。時々痛みはありますが、飲みにいったり仕事もしています。昨日は久しぶりに目が割れそうに痛かったのですが、サンピロと精神薬でぐっすり眠れて今日は痛みがなく働けました。もう、あの地獄の生活に戻りたくない。支えてくれた、家族、そして、同じ難民の皆様有難う。これからは後遺症と上手く付き合っていくしかないか…